遠くでサイレンの音が聞こえ始めた。小高い山にあるこの場所に来るためには、曲がりくねった山道を登ってこなければならない。すぐ近くまでサイレンの音が近づいたかと思うと、また遠ざかっていく。じりじりとしながら待っている時間が何時間にも思えた。
ようやく消防車が到着する。
手を挙げて燃えている車を指差した。
火を確認すると、消防車は宿舎の横を通り過ぎ、さらに少し坂を登った。
どうやら消火栓が少し離れたところにあるらしい。
数人のオレンジ色の消防員が走る。
ホースが伸びてくる。
燃え盛る車に向かって水が勢いよく放水される。
燃え上がる火は、へなへなとその魂をなくし、そこにはフレームだけの車の残骸が現れた。
実際に消化にあたった消防員はほんの数人だったが、数台の消防車と何十台もの車で現場はごったがえし、もちろん実際に数えたわけではないが、ざっと100人近い消防、警察、町の関係者の方々が右に左にと僕たちの前で動いていた。まるで、よくできたハリウッド映画のワンシーンを見ているようだった。
あっけないほど簡単に火が消えると、消防と警察の数人の方を残し、あっという間に人と車がいなくなった。真夜中の静寂が戻り、まるで何事もなかったかのように暗闇が目の前に広がっていた。
それから、宿舎のロビーで、車の持ち主である田邊の簡単な事情聴取が行われた。
バスケットの合宿に来たこと、明日用事があるため、宴会終了後に一人先に車で帰宅しようとしたこと、エンジンをかけてしばらくアイドリングしているうちに火が出たことなどを説明した。僕は田邊の責任を問われるのではないかと心配していたのだが、全くそのようなことはなく、むしろ被害者であり、責任は車のメーカーにあるようだということがわかり、ほっとした。明るくなったら、もう一度現場検証をするが、あとはレッカーで移動するという。車のこと、駐車場の壁の損害は、保険会社が処理をしてくれそうだ。
それにしても大事に至らないでよかった。ガソリンタンクまであと少しというところで火は消えた。そして、宿舎の防音性がよかったためか、宿泊客の誰一人として、これだけの大騒ぎに気づきもしなかったことは奇跡であった。もしみんなが起きてきていたら、パニック状態となっていたに違いない。
それまで気を張っていた僕は、どっと疲れが全身を襲い、ロビーの椅子に座りこんだ。坂井と口も聞けずに事情聴取が終わるのを待っていると、宿舎の方が熱いコーヒーを入れて、みんなに配ってくれた。そう言えば喉が乾いている。それに寒い。なんだかその心遣いがうれしくて、やっと少しだけこわばっていた顔と心が溶けていくような気がした。
時計を見ると、5時を過ぎていた。しらじらと夜が明け始めた。
その後田邊は、会社の推薦でアメリカに留学した。約1年間、勉強をして、本場のバスケットを経験し、今年また復帰した。もうあの時の話をすることはないが、僕は、今でも消防車がサイレンを鳴らして通り過ぎると、あの夜のざわざわとした気持ちがよみがえってくる。(おわり)