essay

自分の気持ちを書かない

 それは、なんのあてもなく本屋をぶらぶらしていた時に、偶然手にした本だった。あるコピーライターが書いたもので、商品が売れるためにはどんなキャッチコピーにすればよいかということをわかりやすく説明した本だ。最初の数ページをめくっただけで、思わず何度もうなずいてしまった。そこにはこう書かれてあった。

 自分の気持ちを書くな!

 なるほど、そう来たか。うんうん、そうだ、そうそう、その通り。まさに歌詞もそうなんだ。

 まあ、自分の気持ちをまったく書くなというのはちょっとオーバーかもしれないが、実は広告を見る人は、広告を作った人の気持ちを聞きたいわけじゃない。歌を聴く人も、作詞家の気持ちを知りたいわけじゃない。求めているのは、みんなの気持ち、もっと言えばわたしの気持ちだ。その商品を使った人や、歌を聴く人の気持ちを書いてほしいんだ。キャッチコピーを見たり、歌詞を聴いたりして、共感することが大事なんだ。

 作詞を教えていると、わたしはこう思うんですとか、わたしはこういう経験を実際にしましたとかということを主張して、リアリティを強調する方に時々お会いする。不思議なことに、そういう方に限って、かなり変わった考えをお持ちだったり、特殊な経験を普通だと思っていたりする。
 人間、誰もが自分は普通だと思っているが、実は案外普通じゃないものだ。だから、自分の気持ちを書くことはかなり危険だし、それは必ずしも多くの人が共感できることとは限らない。限らないと思って詞を作ることに臨まなければならないと思う。
 かと言って、いちいち何百万人の人に、あなたはこの商品どう思いますかとか、あなたは恋をした時どうなりますかなどとアンケートをとるわけにもいかないし、何百人、何十人に聞くことさえ無理だろう。一人、二人、多くても数人に聞いて、その中からポイントをつかめば十分だし、作詞の場合は普段からアンテナを高くしていろんな人の気持ちを聞いていれば、わざわざそんなことをする必要もない。

 少し角度は違うが、国語の文章問題にも同じようなことが言える。
 その時、主人公の太郎はどう思ったでしょう。
 あの時のようにとは、どの時でしょう。
 こんな問いに対して、答えを考えようとしてはいけない。答えは問題の文章のなかにある。それをそのまま書き写せばいいんだ。どこかの予備校の先生のようだが、だからこそ試験になるわけで、試験を解く人の考えを聞いてしまったら、全部正解にしなければならない。
 
 そして、だから、今日も僕は誰かの言葉を集めて、詞を綴る。なーんて。

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