essay

ポンタさんの思い出

 村上“ポンタ”秀一さんがお亡くなりになった。スタジオでは何度もお見かけしたものの、実際にお話したことがあるのは一度きりの僕が、なにかを語るのは大変おこがましいのは百も承知。しかもこの程度の話なんてたいしたことではなく、数々の伝説があるのも重々承知だけれど、でも、40年近くも前の思い出話をひとつだけ。

 たしか新潟のテレビ局の生放送のリハーサルだった。僕らは名も知れない新人バンド。地方の企業のCMソングに決まった僕らは、その企業がスポンサーの番組に呼ばれて演奏することになり、ちょっと浮かれていた。かたや、そうそうたるメンバーの松岡直也さんのバンドがなぜか同じ番組に出演していて、ドラムはポンタさん。拙い僕らのリハーサルのあと、いわゆるボーヤがセッティングしたドラムセットに座るポンタさんと、キーボードを片付ける僕がたまたますれ違う。そして、なぜかポンタさんに話しかけられた。というか、僕に向かって笑いながら独り言をおっしゃったと言う方が正しいか。スティックではなく、素手と足で2、3回タイコを叩きながら「ま、こんなもんかな? なんでもいいんだよねーっ!」って。当然僕は「???」ってなりながら、あいまいな笑顔を返すのが精一杯。ボーヤと言ったってポンタさんのボーヤだから、セッティングだって完璧に決まっているんだけれど、普通のドラマーならいくらボーヤがいつもどおりしっかりとセットしたものでも、自分で細かく位置を確認したり、チューニングを直したりするもの。にもかかわらず、まったく無修正。まだほかのミュージシャンたちがセッティング中だというのに、今度はスティックでローピッチ気味にセットしたタムを2、3回叩くと、早々と椅子に座ってひとり準備OK。

 そしてそのあと僕らは、ハット、スネア、キック以外はタム1個、フロアタム、シンバル2枚という超シンプルなセットで、信じられない超絶プレイのリハーサルを目の当たりにするわけで、ただただみんなで口をあんぐり開けて固まったっけ。
 いま思えば、ポンタさんは当時まだ30歳そこそこだったのに、すでに大御所だったんだな。

 ポンタさんの訃報がニュースになった日、奇しくもグラミー賞で日本人ドラマーの小川慶太さんのバンドが受賞したという朗報が流れた。
 ポンタさんもいつものやさしい顔で笑っているだろう。ご冥福をお祈りいたします。

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