essay

ランチばなし

 仕事場の近くにある行きつけの蕎麦屋でのこと。厨房2人、フロア2人で、店先の弁当販売まで回す昼どきは当然大忙し。カウンターの隅で、僕はいつもの「かき揚げ天せいろ」を手繰っていた。そこへ、30歳代くらいの男子が暖簾をくぐってきた。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
「あ、5人です」
「ご、5人ですかぁ」
 このとき対応に出たおばちゃんも、カウンターの隅で「ここの店の黒七味もおいしんだよな」と蕎麦に七色をかけていた僕も、きっと同じことを思ったはず。この昼の混雑時にそんな多人数で、しかも最大でも4人席までなのに、5人で来るってどういうことよ。
 さらにおばちゃんと男子の会話はつづく。
「ただいま混み合っていまして、2カ所にわかれてしまうんですけどよろしいでしょうか」
 うんうん、当然だ。すると、その草系(勝手に見かけでそう思ってしまい申し訳ない)男子がおっしゃる。
「あ、えっと、待ちます」
 え? え! えーーーっっ? 待ちます? いま、待ちますって言った?
 おいおい若人よ! 蕎麦屋ってぇのは、多人数で行って、ごちゃごちゃ話して、ぐちゃぐちゃ食べて過ごすところじゃねぇってぇんだ。そりゃあ、日本酒ちびちびしながら蕎麦前を楽しむというのもいいけど、昼の混んでる時間にやるもんじゃぁねぇ。さくっとひとりで行って、つるっと食べて、さっさと出ていくのが礼儀じゃねぇか。そりゃあ、あまりにもお行儀が悪いってぇもんだ。
 というわけで、こういう話になるとついつい江戸っ子っぽくなってしまうのだが(横浜生まれ横浜育ちなのに)、いくらなんでも限度ってもんがあるっしょ(弱虫ペダルの巻島先輩ふう)。昔、ある著名な歌舞伎役者が、まだ小学校低学年の息子に教えていたのをテレビで見たことがある。蕎麦と寿司は腹いっぱいに食うもんじゃない。さっと食べて、出てくるもんだ。そもそもおやつがわりみたいなもんなんだから、ここで腹一杯にしようとするな。ってさ。粋だね!

 家庭料理を基本とした人気の定食屋のランチに並んだ。時間の節約で、並んでいるうちにメニューを配って、入店する前に注文を考えさせてくれる。うん、ここまではいい。いよいよ次は自分の番だというとき、若い女性店員がおっしゃった。
「メニューはお決まりでしょうか」
 ん? メニュー? これはこれは、新しいフレーズに出会ったぞ。ご注文はお決まりでしょうかならわかるけど、メニューはそちらが決めて提供してるんじゃないだろうか。僕にはメニューは決められない。屁理屈? もちろん大人の僕は、なぬ食わぬ顔で鯖の塩焼定食をたのんだけどね。
 そう言えば、席でメニューをもらった際にときどき言われるのが、
「お決まりのころにお伺いいたします」
 っていう決まり文句。もちろん、決まったらメニューから顔をあげるし、気がつかれなければ店員を呼べばいいわけだけど、なんとなくもやっとする。決まっているけど、メニューが楽しくてずっと見ているとかなかな来ない。決まったころ来ないじゃないかと意地悪が言いたくなる。こんな決まり文句作ったのは誰なんだ。しかも、これはいい!と思ってあっちこっちで使われているという感性。僕にはさっぱりわからん。

 ネガティブな話ばかりではなく、あったかい話もひとつ。件の蕎麦屋、あまりにも頻繁に通うもんだから、店員さんも僕の顔を覚えてしまった。その蕎麦屋で僕がたのむのは、かき揚げ天せいろ。席に座ると、
「こんにちは、いつものでいいですか」
と、いつものおばちゃんが、いつものように愛想よく、いつものように聞いてくる。うん、いい。そう、もちろんいい。いや、ほとんどいい。基本、いい。でもだ。たまに、ごくたまに、何カ月かに1回くらいは、ほかのものが食べたくなることがないわけではない。が、しかし、せっかくの親切、気づかい、このホスピタリティを無下にできるわけがない。であるからにして、ハイありがとうございますとフレンドリーな微笑みを浮かべてこれに従う。もうそれっきゃないっしょ(弱虫ペダルの巻島先輩ふう)。
 そんなわけで、この店で僕はかき揚げ天せいろしか食べられない。

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