#02 5月 風薫る |
風そのものに匂いはない。 花や草木の匂いが風に運ばれ、まるで風そのものが薫るように思える。 風そのものに色もない。 花や草木の匂いが風景と重なって、風はときに青い風や緑の風となる。 風薫る新緑の季節は、一年でいちばん穏やかな時間だ。 五月のためなら、と彼女は言った。働いてもいいわ。 つまりこういうことらしい。 冬は寒いから冬眠して過ごしたい。 春の初めは風が強くて髪が乱れるので外に出たくない。 夏は暑いから海辺でのんびり過ごしたい。 秋は落葉が寂しいので気分がさえない。 だから、働いてもいいと思うのは五月くらいなのだと言う。 僕もちょうどそう思っていたところだよ。 偶然だなあ。気が合うね。 でも、できることなら五月は君との散歩の時間にとっておきたいけれど。 週間天気予報がずっと晴れマークばかりなのは、ちょっとうれしいし、 ペコリ(君がかわいがっている愛犬のパピヨン)も毎日とてもうれしそう。 ペコリというのは、初めて君がペットショップで彼に会ったとき、 ペコリとおじぎをしたからだそうで、でもそれは偶然だよ。 そう言っても、もちろん君はいっこうに意に介さない。 ペコリはときどき立ち止まると、全身に風を受けて遠い目をする。 その姿は、まるで行く先をさだめる船長のようで勇敢だ。 なぜか君も同じ方向に向かって風を受け止め、遠い目をする。 その姿は、まるでパリコレでターンを決めたモデルのようだ。 だから僕も同じ方向に向かって風を受け止め、遠い目をしてみる。 太陽と緑と花の匂いが胸いっぱいに広がる。 そして、どこか遠い街の風景が見えた気がした。 僕の姿は、君とペコリを守るナイトのように見えているだろうか。 |