photoessay
#11 2月 猫の恋
季語と季節の関係は、ほとんどが旧暦に則っていて、
現代の感覚では、実態に合わない場合もある。
しかも、単にその季節の特徴的なものが選ばれているわけではない。
俳句が確立されてきた過程でつくられてきた言葉で、
日常的な用法とは異なったり、事実とは矛盾したりすることも多い。
「亀鳴く」、「蚯蚓(みみず)鳴く」という季語がある。
もちろん亀や蚯蚓は鳴かない。
鳴くはずのないものが鳴くとしたところに、
文学的な広がりがあり、おもしろさがある。
「猫の恋」という季語も同じ。
日常的な用法から離れ、俳句的な特徴を持った春(二月)の季語。
猫の発情期は、野生では一〜三月だけだったが、
人間に飼われるようになってからは、
初夏や秋にも訪れるようになり、年四回ほどになることもある。
なの花にまぶれて来たり猫の恋 (小林一茶)
それで、人間のわたしたちはどうなの?
と、当然君はたずねた。
どうなのって、何が?
何がって、わたしたち。
なるほど、それは遠まわしに僕を誘ってる?
遠まわしじゃなくて、かなりまっすぐだと思うけど。
厳密に言うと人間には発情期がないわけで、
大脳の発達に伴って妊娠期間が長いわけで、
でも産道が小さいし、そのほとんどが脳の発達に費やされるから、
身体能力は他に動物に比べるとかなり低いわけで、
出産後の世話につきっきりになる女性の負担も大きいわけで、
それに一度にたくさんの子供を産むこともできないわけで、
だから発情期があると子孫を残すという観点から不利なわけで、
って、一生懸命しゃべっている僕の唇を君の唇がふさぐわけで。
だから、えーと、つまり、その、なわけで・・・
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